【連載】選択がマーケティングの風景を変える② 合理性のジレンマ ― 勝ち馬に乗ることは、本当に合理的なのか ―

※本稿は連載記事4本中の2本目です。
[第1回:なぜプラットフォームは一強になるのか ― 「良いサービス」が勝つとは限らない理由 ― は こちら]
[第3回:便利さの積み重ねが、私たちを変えていく ― プラットフォームの上で暮らす時代 ― は こちら]
[第4回:AIは幸福な出会いを生み出すか? ― 「需給の質的なマッチング」の実現へ ― は こちら]


前回のコラムでは、プラットフォーム市場では「人が集まること」自体が価値となり、市場が一部のサービスへと収束していくことについて書きました。

利用者が増えるほど価値が高まり、その価値がさらに利用者を呼び込む、いわゆる「ネットワーク効果」が働く市場では、一度優位に立ったサービスが、ますます強くなる傾向があります。

では、そのような市場で、私たち利用者が「勝者になりそうなサービス」を選ぶことは、本当に合理的なのでしょうか?

今回は、この問いについて考えてみたいと思います。


勝ち馬に乗ることは、たしかに合理的である

仕事で使うプラットフォームを選ぶとき、私たちは性能だけを見ているわけではありません。「このサービスは数年後も残っているだろうか?」と考える人も少なくないでしょう。

サービスの利用者が多ければ、関連書籍や解説記事、研修、コミュニティ、外部サービスとの連携も充実します。困ったときにも情報を探しやすく、仕事相手とのデータ共有もしやすくなります。だからこそ、多くの人が利用するサービスを選ぶことには十分な合理性があります。

前回紹介したケインズの「美人投票」にたとえるなら、「自分が最も良いと思うサービス」ではなく、「これから多くの人が使い続けそうなサービス」を選ぶことは、極めて自然な判断だと言えます。


気づけば市場は一強に

しかし、合理的な選択を積み重ねると、意外な結果が生まれます。

一人ひとりは合理的に判断しているだけなのに、その選択が積み重なることで、市場全体は少数のサービスへと収束していくことがあります。

サービスに利用者が集まる
 ↓
価値が高まる
 ↓
さらに利用者が集まる

この循環が、新しい挑戦者にとっては高い参入障壁になります。つまり、私たち一人ひとりの合理的な判断が、市場の構造そのものを変えていくのです。これは、経済学でいう「合成の誤謬」にも通じる現象なのかもしれません【注1】


勝者は永遠ではない

もっとも、一度勝者になったプラットフォームが、その地位を永遠に保てるわけではありません。

私自身も、かつてはMySpace、YoroZoo、muzieなどの音楽共有サービスで自作のオリジナルソングを公開していました。しかし現在では、その活動の場はYouTubeへ移っています【注2】。MySpaceが世界的な人気を得ていた当時、音楽作品を発表する場が、映像共有サービスであるYouTubeへこれほど集約されると予想していた人は、それほど多くなかったのではないでしょうか。

市場では、勝者が入れ替わることもあります。今の勝者が圧倒的な支持を得ていたとしても、未来の勝者でもあるとは限らないのです。


「良い経営」が変化への対応を遅らせる

ここで思い出されるのが、経営学者クレイトン・クリステンセンが提唱した「イノベーションのジレンマ」です。これは、優れた企業ほど既存顧客の期待に応えることへ経営資源を集中させるため、新しい市場や技術の変化への対応が遅れやすくなる、という考え方です。

既存顧客は、今より少し性能が良い商品を求め、企業は、その期待に応え続けます。それは、企業として極めて健全な経営判断です。ところが、その間に、新しい価値観を持つ商品やサービスが、静かに支持を集めていくことがあります。

やがて、その新しい価値が主流になると、それまでの勝者は一気に優位性を失うことがあります。優れた経営判断の積み重ねが、いつのまにか、その企業の動きを封じてしまう。何とも皮肉な話ですね。


合理性のジレンマ

ここまで見てくると、一つの逆説が浮かび上がります。

利用者は「残りそうなサービス」を選び、企業は既存顧客の期待に応える。

どちらも、それぞれの立場では極めて合理的な判断です。しかし、その合理性が積み重なることで、市場は一強へと収束し、新しい挑戦者が育ちにくくなる一方で、既存の勝者自身も、新しい変化への対応が難しくなっていくことがあります。

私は、この構造を「合理性のジレンマ」と呼びたいと思います。

一人ひとりは合理的に行動しているにもかかわらず、その積み重ねが、市場全体には別の結果をもたらすことがあります。合理的な選択が、長期的には必ずしも最も望ましい結果を生むとは限らない。そこに、プラットフォーム市場のおもしろさであり、難しさがあるのではないでしょうか。


選んだはずが、離れられなくなっていた

もちろん、勝者になりそうなサービスを選ぶことは、多くの場合、合理的な判断でしょう。

しかし、その合理的な判断には、もう一つ別の側面があります。

私たちは、自分で選んだサービスを使い続けるうちに、データや知識、操作方法、人とのつながりなど、さまざまなものを積み重ねていきます。AIサービスであれば、会話履歴やカスタム指示なども、その蓄積の一部になるでしょう。

そして気づけば、そのサービスから簡単には離れられなくなっていることがあります。合理的に選んだはずのサービスが、やがて私たち自身を「囲い込む」存在にもなり得るのです。

合理的な選択は、ときに私たちへ大きな便益をもたらします。しかし、その選択を積み重ねるほど、別のサービスへ移ることは難しくなっていきます。私たちは、プラットフォームを使っているつもりでも、いつの間にか、そのプラットフォームに適応した存在になっているのかもしれません。

次回は、AI時代に一段と重要になりつつある「ロックイン(囲い込み)」について考えてみたいと思います。


〈注〉

1.「合成の誤謬(Fallacy of Composition)」は、個人にとって合理的な選択が、その積み重ねによって社会全体では別の結果を生む現象のこと。一人ひとりが「将来も残りそうなプラットフォーム」を選ぶことは合理的ですが、その選択が積み重なることで、市場は一部のサービスへと収束し、新たな挑戦者が育ちにくくなります。その結果、利用者にとっての選択肢も狭くなることがあります。

2.市川マーケティング研究所の鈴木雄高は「市川市の小さな楽団」を標榜するご当地バンド「ノスタルジー&ルミエール」に参加し、自作曲(市川市にまつわるオリジナル・ソング)をYouTubeで公開しています(代表曲:鬼越ステイション、君の心は藪知らず、ふたりのソルトビーチ)。本稿で触れた音楽共有サービスの変遷も、その活動を通して実際に経験してきました。ノスタルジー&ルミエール公式YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/@nos_lumi/videos


※本稿は連載記事4本中の2本目です。
[第1回:なぜプラットフォームは一強になるのか ― 「良いサービス」が勝つとは限らない理由 ― は こちら]
[第3回:便利さの積み重ねが、私たちを変えていく ― プラットフォームの上で暮らす時代 ― は こちら]
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