【レポートVol.14】縮小市場における「企業となり」戦略 ― YouTubeチャンネル「有隣堂しか知らない世界」に見るファンとの関係づくり ―

鈴木 雄高(市川マーケティング研究所 代表)
初版公開(PDF):2026年4月28日
Web版公開:2026年7月22日
要旨
書店市場の縮小が続く中、有隣堂は公式YouTubeチャンネル「有隣堂しか知らない世界」(以下、「ゆうせか」)を通じて、独自のファン層の形成に成功している。本稿は、その成功をコンテンツ・マーケティングの成功事例として捉えるのではなく、「企業となり」の可視化という観点から考察する。「企業となり」とは、「人となり」から着想した、企業の個性・人格・体温ともいうべきものを指す筆者の造語である。「ゆうせか」は、販促や広報を前面に出さず、人とキャラクターを通じて企業の個性を誠実に可視化することで、信頼と共感に基づくファンとの関係を築いてきた。本稿では、この事例を通じて、成熟・縮小市場において「企業となり」の可視化がなぜ重要かを論じる。
キーワード:企業となり、ファン形成、オーセンティシティ、コンテンツ・マーケティング、縮小市場、差別化戦略
目次
1.はじめに
市場が拡大する局面においては、品質・価格・利便性の向上が競争の主軸となる。しかし市場が縮小に転じると、この三軸での競争は消耗戦に陥りやすい。限られたパイを奪い合う構造の中で生き残るためには、「より良い商品・サービスを提供する」という発想を超えた差別化の考え方が求められる。
本稿が着目するのは、神奈川県・東京都を中心に店舗を展開する中堅書店チェーン「有隣堂」の公式YouTubeチャンネル「有隣堂しか知らない世界」(以下、「ゆうせか」)である。同チャンネルは、登録者数52.4万人、総視聴回数2億回超(2026年4月時点)という規模に成長しており、書店という縮小市場において独自のファン層を形成することに成功している1。
本稿では、「ゆうせか」の設計思想と運営方針を分析しながら、その成功を「企業となり」の可視化という観点から論じる。「企業となり」とは、企業の理念や商品ではなく、その企業の個性・人格・体温ともいうべきものを指す筆者の造語である。この概念を軸に、成熟・縮小市場において企業がいかにしてファンを形成しうるかを検討する。
2.書店市場の構造変化と有隣堂の位置づけ
出版市場の縮小は長期的なトレンドである。公益社団法人全国出版協会・出版科学研究所によれば、2024年の紙と電子を合わせた出版市場規模は1兆5716億円であり、2014年比で8.7%の減少である。内訳を見ると、電子市場が約5倍に成長する一方、紙市場は37.4%縮小している2。さらに、経済産業省の統計によれば、書籍・映像・音楽ソフトのEC化率は2014年の19.6%から2024年には56.5%へと急上昇しており3、実店舗における紙の書籍・雑誌の販売金額は大幅に減少していると推察される。
この構造の中で、有隣堂は堅調な業績を維持している4。書籍・雑誌に加えて文具や雑貨を組み合わせたマーチャンダイジング・ミックス、立地特性を踏まえた店舗づくり、オンライン注文・店舗受け取りを可能にするECの仕組みが、その要因として挙げられる。しかしそれ以上に注目すべきは、「ゆうせか」を通じた顧客との関係性の構築である。品揃えや利便性は競合他社も追随しうるが、ファンとの深い感情的結びつきは容易には模倣できない。
3.「有隣堂しか知らない世界」の設計思想―「売らない」ことの戦略的意味
「ゆうせか」は2020年6月に開設され、以来826本を超える動画を公開している(2026年4月時点)5。その最大の特徴は、企業公式チャンネルでありながら、販促や広報を主目的としていない点である。運営方針の中心にあるのは「面白いコンテンツを届けること」であり、商品の背景にあるストーリー、ストーリーへの共感、話し手への信頼感の三要素が重視されている6。
この「売らない」姿勢は、逆説的に高い購買意欲を生んでいる。MCのR.B.ブッコロー(以下、ブッコロー)が有隣堂にも取引先にも忖度せず本音を語り、バイヤーや書店員が商品への偏愛を熱量高く語る構成は、視聴者に「信頼できる人の話を聞いている」という感覚を与える。これがいわゆるオーセンティシティ(誠実さ・本物らしさ)の効果であり、企業発信でありながら広告的な受け取られ方を回避することに成功している。
また、ライブコマースでは短時間で数千点の文具・書籍が完売するという実績もある。「売らない」コンテンツが積み上げた信頼が、販売の局面で一気に購買行動に転化する構造である。「売ろうとしないから売れる」というこの逆説は、コンテンツ・マーケティングの本質を端的に示している。
さらに、出演スタッフが実店舗で顧客から声をかけられるという現象も報告されており7、デジタル上の発信が実店舗でのエンゲージメント向上に直接寄与していることも見逃せない。
4.「企業となり」の可視化―人とキャラクターを通じた信頼の形成
「ゆうせか」の成功を単なるコンテンツ・マーケティングの成功事例として捉えるだけでは、見えてこないものがある。それを、本稿では「企業となり」の可視化として捉えたい。
「人となり」とは、その人の個性・体温・価値観が、言葉や行動を通じて自然に立ち上がってくる状態を指す。形式的な自己紹介では伝わりにくく、たわいもない会話や失敗談、偏愛の語りの中にこそ滲み出るものである。「企業となり」とはその企業版であり、理念や商品スペックを超えた、企業の個性そのものを指す。
有隣堂の公式サイトに掲げられた企業理念を読んでも、その「企業となり」は見えにくい。しかし「ゆうせか」でマニアックなテーマを熱量高く語るバイヤーの姿や、本音しか口にしないブッコローの次の一言に引き込まれていくうちに、視聴者は自然と有隣堂という企業そのものに惹きつけられていく。これは商品訴求でも理念訴求でもなく、企業の個性が「人」と「キャラクター」を通じて可視化される過程である。
この「企業となり」の可視化には、老舗企業が持つイメージとのギャップも効果的に作用している。老舗企業というイメージに対し、毒舌のぬいぐるみMCとバラエティ的な掛け合いというギャップは、強烈な記憶定着をもたらす。重要なのは、このギャップが「バズ狙い」ではない点である。軽妙な表現の根底には本・文具への本気の愛情があり、それが信頼と親しみやすさを同時に成立させている。
なお、チャンネルの略称「ゆうせか」と視聴者の愛称「ゆーりんちー」が生配信中に視聴者とともに決定されたという事実も象徴的である。名称の決定過程をリアルタイムで共有することで、視聴者を「見る人」から「参加する人」へと転換させる契機となった。ファンダムの形成は、こうした小さな共体験の積み重ねによって促進される。
5.成熟市場において「企業となり」戦略が持つ意味
有隣堂の事例から得られる示唆は、書店業界に限定されるものではない。国内総人口が減少局面に入り、多くの業界で市場の拡大が見込めない現在、「企業となり」の可視化は、多くの業界で重要な課題となっていく可能性がある。
成熟・縮小市場における競争の特徴は、商品・サービスの質が競合間で横並びになりやすい点にある。差別化の余地が品質・価格・利便性の軸で縮小するほど、「なぜその企業から買うのか」という問いへの答えが、感情的・関係的な次元に移行する。すなわち、競争軸は「何を売るか」から「どんな企業として顧客に認識されるか」へとシフトする。
この文脈において、「企業となり」の可視化は単なるブランディングの一手法にとどまらない。それは、企業が顧客との間に築く信頼と共感の基盤であり、価格競争や品揃え競争では代替できない無形資産の形成である。ポイント制度のようなシステム上の囲い込みではなく、心理的な結びつきを持つファンの形成こそが、縮小市場における持続的な競争優位の源泉となる。
ただし、「企業となり」の可視化は意図的に設計しうる一方で、作為的に演出しようとすると逆効果になるリスクも伴う。「ゆうせか」が支持されているのは、出演者の熱量や本音が本物であるからであり、それを模倣しようとする試みは、視聴者に容易に見抜かれる。「企業となり」が伝わるためには、それに値する実態が企業の内部に存在していなければならない。
6.おわりに
本稿では、有隣堂の事例を通じて、縮小市場における「企業となり」の可視化について考察した。
「売らないから売れる」「広報しないからファンになる」という逆説は、コンテンツの質や運営の工夫だけで説明できるものではない。その根底には、企業の個性・体温・価値観を、人とキャラクターを通じて誠実に可視化するという、一貫した設計思想がある。
企業が「企業となり」を持ち、顧客に伝えることができるか。縮小市場において、この問いを避けて通ることはできない。本稿では、有隣堂の事例を手がかりに、その問いを整理することを試みた。
〈注〉
1.有隣堂(2026)による。
2.HON.jp(2025)による。
3.経済産業省(2015、2025)による。
4.新文化オンライン(2022、2023、2024、2025)による。
5.有隣堂(2026)による。
6.AdverTimes.(2025)参照。
7.日経クロストレンド(2021)参照。
〈参考文献〉
HON.jp(2025)「2024年出版市場(紙+電子)は1兆5716億円で前年比1.5%減、コロナ前の2019年比では1.8%増 ~ 出版科学研究所調べ」2025年1月24日更新,https://hon.jp/news/1.0/0/53725(2026年1月5日閲覧)
経済産業省(2015)「平成26年度我が国経済社会の情報化・サービス化に係る基盤整備(電子商取引に関する市場調査)」2015年5月,https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/statistics/outlook/h26report.pdf(2026年1月5日閲覧)
経済産業省(2025)「令和6年度電子商取引に関する市場調査報告書」2025年8月,https://www.meti.go.jp/press/2025/08/20250826005/20250826005-a.pdf(2026年1月5日閲覧)
新文化オンライン(2022)「有隣堂、減収減益の決算」2022年11月28日,2023年2月14日更新,https://www.shinbunka.co.jp/archives/592(2026年1月5日閲覧)
新文化オンライン(2023)「有隣堂、減収損失決算に」2023年11月29日,https://www.shinbunka.co.jp/archives/6469(2026年1月5日閲覧)
新文化オンライン(2024)「有隣堂、増収増益決算に」2024年11月29日,https://www.shinbunka.co.jp/archives/9264(2026年1月5日閲覧)
新文化オンライン(2025)「有隣堂決算、2年連続で増収増益」2025年11月28日,https://www.shinbunka.co.jp/archives/12044(2026年1月5日閲覧)
日経クロストレンド(2021)「老舗書店・有隣堂の破天荒YouTube戦略 8カ月で登録者が27倍に」2021年9月13日,https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/casestudy/00012/00714/(2025年12月2日閲覧)
AdverTimes.(2025)「『有隣堂しか知らない世界』なぜ売れる? 動画から考える、これからの売り方」2025年9月1日,2025年11月25日更新,https://www.advertimes.com/20250901/article510526/(2025年12月2日閲覧)
有隣堂(2026)「有隣堂しか知らない世界」公式YouTubeチャンネル,https://www.youtube.com/@Yurindo_YouTube(2026年4月28日閲覧)
