【レポートVol.16】マーケティング技術の政治的転用をめぐる職業倫理の問い ― 技術を持つ者の倫理と責任 ―

鈴木 雄高(市川マーケティング研究所 代表)
初版公開(PDF):2026年5月1日
Web版公開:2026年7月24日

要旨
本稿は、商業マーケティングで培われた技術が政治的文脈へ転用されることの倫理的な問題を検討する。両者は手法を共有する一方、影響範囲、不可逆性、検証可能性、規制水準において本質的に異なる。とりわけ、マイクロターゲティングやフィルターバブルにより、個々の有権者に最適化された情報が不可視に流通し、自律的判断が損なわれるリスクが高まる。本稿はこの「見えなさ」を中核問題として位置づけ、マーケティングの「選別」と「増幅」という性質が民主主義と緊張関係に入る可能性を指摘する。その上で、実務家・研究者が仕事の選択や表現設計において自覚的に判断する職業倫理の必要性を提起する。

キーワード:マーケティング技術の政治転用、職業倫理、マイクロターゲティング、フィルターバブル、自律的判断、情報の不可視性

1.はじめに――マーケティングの政治転用と職業倫理

マーケティングとは、商品やサービスの価値を顧客に伝えるだけでなく、広告表現や心理的訴求、ターゲティングを通じて消費者の認識や欲望に働きかけ、購買行動に影響を与える知識と技術である。それは企業が市場で生き残るための手段であると同時に、私たちが何を望み、何を当たり前だと感じるかにも、少なからず影響を与えてきた。

近年、こうしたマーケティングの技術が、商業的文脈を超えて政治的文脈に転用される事例が可視化されつつある。大手広告代理店の社員が首相官邸に出向し、政権の情報発信を担当した事例もその一つである。本人の言葉によれば、そのミッションには内閣支持率の向上が含まれており、世論や空気の醸成を担っていた自負がある旨を述べている。

この事実は、マーケティング実務家・研究者である筆者にとって、向き合わざるを得ない倫理的課題を提示している。 商品の魅力を伝えるための技術を、政権や政治家の支持を高めることに転用したとき、情報の受け手である有権者との関係性はどのように変わるのか。そして、その強力な技術を扱う者には、どのような社会的責任が伴うべきなのか。

本稿は、この問いをマーケティング実務家・研究者としての職業倫理の観点から論じる試論である。特定の人物・政党・政権への批判を主眼とするものではなく、マーケティングという職業・学問が直面している構造的な問題として論じる。

2.商業マーケティングと政治マーケティングの類似と差異

商業マーケティングと政治マーケティングは、使う技術という点では多くの共通点を持つ。感情に訴えるメッセージの設計、ターゲット層に合わせた情報の届け方、繰り返しの接触による印象の形成――これらはブランドの好感度を高める際にも、政治家の支持率を高める際にも、同様に機能する。

しかし、両者の間には本質的な差異がある。

まず、選択の影響範囲が異なる。商品を買うかどうかは個人の選択であり、その影響は主に自分自身に留まる。しかし投票行動は社会全体の意思決定に関わり、その結果は全ての市民に影響する。

また、選択の不可逆性が異なる。気に入らない商品は買い直すことができる。しかし選挙の結果は、少なくとも次の選挙まで覆すことができない。

さらに、判断の検証可能性が異なる。商品であれば「使ってみればわかる」という経験による検証が可能である1。しかし政治の場合、選んだ後も政策の成否と投票行動の因果関係は複雑であり、「あの時の判断は正しかったのか」を検証することは困難であると考えられる。この検証の難しさが、技術の転用による影響を見えにくくし、問題の深刻化を助長している可能性がある。

情報規制の整備水準も異なる。商業マーケティングにおいては、景品表示法などによって虚偽・誇大な表現は規制されている。政治的文脈においても公職選挙法や名誉毀損に関する規制は存在するが、商業マーケティングと同等に厳密とは言い難く、規制のあり方が十分に整理されているとは言い難い状況にある。

これらの差異を踏まえると、同じ技術を使っていても、商業マーケティングと政治マーケティングでは、その社会的影響の重さが根本的に異なることがわかる。

3.人の脆弱性を利用する技術――コンプレックスマーケティングとの類比

マーケティングの技術の中には、人の心理的な弱さや不安を意図的に刺激することで、消費行動を促すものがある。

外見・身体コンプレックスに訴求するマーケティング(以下、コンプレックスマーケティングと呼ぶ)はその典型である2。外見への劣等感や、他者と比べたときの不安感を煽ることで、「このままではいけない」という気持ちを引き起こし、商品の購買につなげる手法である。

ここで断っておく必要があるのは、消費行動と投票行動は同一ではないという点である。商品を選ぶ行為と、政治的意思を表明する行為は、その社会的意味において本質的に異なる。しかし、人の不安や脆弱性を意図的に刺激して行動を誘導するという点は共通しているため、その点に限って類比として論じてみたい。

コンプレックスマーケティングに対しては、近年、批判の声が高まっている。人の脆弱性を意図的に利用することは、消費者の自律的な判断(ここでいう自律的な判断とは、外部から意図的に設計された影響によって歪められていない判断を指す)を損なうという点で、倫理的に問題があるとみなされるようになってきたからである。

政治マーケティングへの技術転用も、同じ問題を含んでいる。人々の不安、社会への不満、帰属意識や敵意といった感情は、政治的文脈においても容易に刺激されうる。そしてそれが意図的に設計された情報発信によって強化されるとき、有権者の自律的な判断は侵食される可能性がある。

さらに深刻なのは、政治的なマイクロターゲティング3が持つ情報の閉鎖性である。商業広告は基本的に公開の場に出るため、第三者による検証が可能である。しかし政治的なマイクロターゲティングでは、誰がどのような不安を突くメッセージを受け取っているかが、外部からは検証できない。いわゆるフィルターバブル4の問題と組み合わさることで、有権者は自分が受け取っている情報が意図的に設計されたものであることに気づきにくくなる。この「見えなさ」こそが、本稿が最も重視する問題である。

コンプレックスマーケティングと政治マーケティングの技術転用に共通するのは、「人の脆弱性を利用する」という構造である。前者が個人の消費行動に影響を与えるとすれば、後者は社会全体の意思決定に影響を与える。影響の規模と深刻さという点で、後者はより重大な問題をはらんでいる。

4.マーケティング実務家・研究者としての職業倫理

マーケティングの知識と技術は、中立的な道具ではない。「選別」と「増幅」の性質を持つ技術である。この性質は、特定の意見や感情を強化し、他の可能性を相対的に弱める働きを持つものであり、民主主義が理想とする多様な声の対話や包摂とは、局面によって緊張関係となる可能性がある。

もし、医師が医学の知識を人を傷つけるために使えば、これは職業倫理の問題となる。弁護士が法律の知識を不正のために使う場合も同様である。マーケティング実務家・研究者も、自らの知識と技術がどのように使われうるかについて、問いを持っておく必要があるであろう。

しかし現状では、マーケティングの職業倫理は十分に議論されているとはいえない。商業的文脈における消費者保護や広告規制の議論は一定程度蓄積されているが、マーケティング技術の政治的転用に対して、実務家・研究者のコミュニティがどう向き合うべきかという問いは、ほとんど正面から論じられていないのではないか。

マーケティングの技術を政治的目的に転用することは、民主主義の基盤である有権者の自律的判断を損なうリスクがある。このリスクに対して、マーケティング実務家・研究者は自分ごととして向き合う必要があるのではないか、という問いが生じる。

「依頼されたから行った」「合法だから問題ない」という論理だけでは、職業倫理の問いに答えたことにはならないだろう。技術を持つ者には、その使われ方に対して自覚的であることが求められる。

5.おわりに――技術を持つ者の責任

本稿では、マーケティング技術の政治的転用という問題を、職業倫理の観点から論じた。

技術を持つ者の責任は、倫理の話にとどまらない。それは具体的に、どの仕事を引き受けるかの判断や、表現設計における自己規制、あるいはマーケティングという職業・学問のコミュニティとしてのガイドライン形成といったかたちで現れる。

消費者に向けて警鐘を鳴らすことも必要である。しかしそれ以前に、技術を持つ側が自らの職業倫理を問い直すことが、より根本的な課題ではないかと考える。

マーケティングは人の心理を動かす力を持つ。だからこそ、その力の使い方に対して、実務家・研究者は自覚的であり続けることが求められる。本稿は、その問いの入口を示す試みである。

〈注〉

1.商品やサービスの価値が、購入前には十分に判断できず、実際に使用してみて初めて評価できるものを「経験財」と呼ぶ。これに対して、使用後であっても品質や価値の適切な判断が難しいものを「信用財」と呼ぶ。政治的選択は、選択後も、政策の結果が自らの投票判断に起因するものかを見極めにくいため、信用財的な性格が強い。

2.コンプレックスマーケティングとは、身体的・社会的な劣等感や不安感を刺激することで消費行動を促すマーケティング手法を指す。ソーシャルメディア(SNS)の普及とアルゴリズム広告の精度向上により、個人の脆弱性に合わせた訴求が可能になったことで、その規制をめぐる議論が高まっている。鈴木(2026)参照。

3.マイクロターゲティングとは、個人の属性・行動履歴・心理的傾向などのデータをもとに、特定の個人や小集団に対して最適化されたメッセージを届ける手法を指す。政治的文脈では、有権者の不安や関心に応じた訴求に用いられることがある。2016年のアメリカ大統領選挙をめぐっては、Cambridge Analytica がFacebook由来のデータを用いて有権者プロファイリングやターゲティングに関与したことが問題化し、この手法の危険性が広く知られる契機となった。ただし、それが実際に投票行動や選挙結果にどの程度影響したかについては確定的ではない。なお、一部プラットフォームは政治広告アーカイブや支出情報の開示など透明性向上策を導入しているが、広告配信やターゲティングの実態を外部から十分に検証できる状況にはなお限界がある(Information Commissioner’s Office 2018;Federal Trade Commission 2019;Meta 2020)。

4.フィルターバブルとは、アルゴリズムや利用者の行動履歴などによって、個人の関心や傾向に合った情報が優先的に届けられることで、異なる意見や視点に触れる機会が減少する現象を指す。Pariser(2011)が提唱した概念である。

〈参考文献〉

鈴木雄高(2026)「欲望の生成と沈黙の構造 ― コンプレックスマーケティング試論 ―」『市川マーケティング研究所 レポートシリーズ Vol.12』https://ichikawa-marketing.com/wp-content/uploads/2026/04/20260422_Ichikawa_Marketing_Lab_Report_Vol12.pdf(公開日:2026年4月22日,閲覧日:2026年5月1日)

Information Commissioner’s Office(2018)Investigation into the Use of Data Analytics in Political Campaigns: Final Report, https://ico.org.uk/media2/migrated/2260271/investigation-into-the-use-of-data-analytics-in-political-campaigns-final-20181105.pdf (閲覧日:2026年5月1日)

Federal Trade Commission(2019)“FTC Sues Cambridge Analytica, Settles with Former CEO and App Developer,” https://www.ftc.gov/news-events/press-releases/2019/07/ftc-sues-cambridge-analytica-settles-former-ceo-app-developer (閲覧日:2026年5月1日)

Meta(2020)“Expanded Transparency and More Controls for Political Ads,” https://about.fb.com/news/2020/01/political-ads/ (閲覧日:2026年5月1日)

Pariser, Eli(2011)The Filter Bubble: What the Internet Is Hiding from You, Penguin Press.(イーライ・パリサー著,井口耕二訳『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』早川書房,2012年)

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