【コラム】欲望喚起型マーケティングの危うさ――『恋愛裁判』が突きつけるもの

先月、TOHOシネマズ市川コルトンプラザで、深田晃司監督・齊藤京子主演の映画『恋愛裁判』を鑑賞しました。
ファンの熱量を売上に転換するアイドルビジネス、もっと言えば、ファンに、アイドルへの恋愛に似た(疑似恋愛の)感情を抱くよう促すようなマーケティングの危うさを、真正面から突きつける作品です。
現在、朝井リョウ氏の小説『イン・ザ・メガチャーチ』を読み進めているのですが、これら2作は、現代の推し活ビジネスにおける「欲望・葛藤・倫理」の構造を浮き彫りにします。
アイドル、そのアイドルを推すファン、商品としてのアイドルを売り出す運営者。
- 運営者(企業):ビジネスを仕掛ける側
- アイドル(商品):推される側
- ファン(顧客):推す側
ここで運営者は、ブランドマネジメントを行います。
アイドルに対しては品質管理やブランド鮮度の維持を徹底します。
そして、ファンに対してはLTV(顧客生涯価値)を高めるため、囲い込みと育成を継続します。
映画『恋愛裁判』は、アイドルがプライベートの自由を制限されるという、いつの頃からか私たちが(違和感を覚えながらも)、そんなものだよね、として受け入れてしまっている、しかし、本来であれば、重大な人権侵害の懸念のある管理のされ方を、エンターテインメントやショービジネスの名の下に放置してきた私たちの無自覚な加害性として、冷徹に描き出しています。
私たち消費者は、疑似恋愛を商品付加価値とする以上、業界のルールとして、仕方がないことだと思い込んでいた、思考停止していたのかもしれませんね。
短期的な売上やトレンドを追い、他のアイドルとの競争に勝つことを重視するあまり、アイドルの商品としての側面を重んじ、人間としての側面を軽んじていると言わざるを得ません。(映画の中の)運営者も、傍観者である私も。
欲望を喚起し、消費を促すマーケティングは、ビジネスとしての成功を追求するものですが、同時に、当たり前のこととして、人権を尊重しなくてはなりません。
マーケティングの諸活動に、いかにしてその価値観を組み込んでいくか、真剣に考え、実装していきたいものです。改めて、そう強く誓う契機となりました。
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